今日街の掃除があり、たまたま今日その日の当番に当たっていた。
しかも開始が10:00と礼拝の時刻と重なる時間。
最近礼拝にまったく行ってない。
で、自分がなぜ教会へいくようになったかを改めて思い返してみる。
自分が教会へいくきっかけになったのは中学から友達だと思っていた人が影で自分の悪口を行っていたから・・・というまわりから見るとどうでもいいような理由で入っていたのだ。(でも自分の中では深刻に受け止めそいつとはあっても誰だっけ見たいな顔をしてた)
実際他にも色々あって、たまに本気で自殺を考えるまでに落ち込んでいた(頭の中では考えているけど行動までできない)こともあって、後m-floとかがやってるCM(パワーフォーリビング)の冊子をとりよせてそこから興味を持ったとか色々あって、行ったのが始まり。
で、入ってみると牧師見習いの方が案内してくれて色々聞かれたけど初めは何も知らないことにしていた。
んで、その後は色々聞かれたけどやはり黙ったままで向こう側も困らせてしまった。
なぜ黙ってたかというとその理由を聞いてやはり影でものすごいバカにされるのを恐れていたからで初日はまともな感じではなかった。
で二回めでその悩みを打ち明けると、見習いの人がいろいろ答えてくれて、心の中ではバカにしてるんだろなと思いながらもそれに付き合ってくれたことはうれしかった。
で、それからいろいろあっていけなくなってる。向こうにも迷惑、心配をかけてる(向こうがそう思っているかは別として)。だから来週はいこう。
あとずれるけどこんなことがあった。
ある日ちょっと寄り道が過ぎて時間が遅くなってしまった日、自分は「自転車のチェーンが外れたからにしよう」と嘘をつこうと考えた。
その帰り、自転車が思いっきり壊れた、それは前にも進めなくなるようなぐらいに壊れ親曰く、「ギアの部品が壊れた」とのこと。
その後聖書を開いて前の日の続きを読んでるとこんなことが書いてあった。
マタイの15章あたりで「しかし、口から出るものは、心からできています。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出てくるからです。」と言う言葉に(勝手な解釈だけど)自分はものすごい衝撃を受けた。タイミングがタイミングなだけに今まさに自分に向けて言われたかのような感じがしたのだ。だから自分はその言葉を受けて、反省し、自分に向けてその言葉を仕向けた神様、イエス様にこう祈った、「僕は自分のミスを自転車のせいにしてごまかそうとしてしまいました」(それ以降はきちんと覚えてない)。
それ以降、自分はいままで考えていた神様論(神様はいない)を捨てて神様はずっと見守っていてくれているものだと考えるようになった。
途中で文章がめちゃくちゃだったり、起承転結がはっきりしなかったり、まだきっちり勉強してないために本当のクリスチャンから見ればふざけた文章になってるかも知れませんが、ご容赦ください。

1 コメント:
はじめまして!
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